モザンビーク独立記念日!歴史から見る日本との意外な繋がりとは??

こんにちは。モザンビークで青年海外協力隊としてボランティア活動をしているGoです。

6月25日はモザンビークの独立記念日」です。

リシンガでは大規模とは言えないですが、歌いながら町を練り歩いている人達を見かけました。

ベランダから撮った写真です。

どんな歌を歌っているのかはわかりませんでした…

今日は独立記念日ということでモザンビークの歴史について簡単に解説したいと思います。

ついでに日本とのちょっとした面白い関係も紹介します!

モザンビークの歴史

モザンビークには様々な現地語がありますが、公用語はポルトガル語です。

というのも、1975年までの約300年間、ポルトガルが植民地として支配していました。

15世紀末に喜望峰回りのインド航路を発見した航海士「バスコ・ダ・ガマ」がモザンビーク島に到達したのをきっかけに、ポルトガル人が来航し植民を始めました。

以降、ポルトガルのアジア交易の中継地の一つとして存続します。

あの有名なフランシスコ・ザビエルも日本に来る前にモザンビークに6ヵ月滞在したと言われています。

第二次世界大戦後もポルトガルの支配は続きましたが、1962年にモザンビーク解放戦線(FRELIMO)が結成され、ソ連や中国の支援を受けながら1975年6月25日に独立を果たします。

UNILAB

しかし、その後も激しい内戦が17年間も続き、100万人以上の死者を出しています。

1992年にようやくモザンビーク包括平和協定が調印され、現在は比較的安定した政治のもと着実な発展が進められています。

日本とモザンビークの関係

日本とモザンビークは1977年に外交を開始し、今年で41年目になります。

2014年には安倍総理が日本の総理として初めてモザンビークを訪問しており、良好な関係が続いています。

外務省

歴史的にみても、日本とモザンビークは奇妙なつながりがあるので紹介します。

日本人が初めて訪れたアフリカの国はモザンビーク!

1586年に「天正少年使節団」がローマからの帰路の途中、モザンビークに半年間寄っています。季節風の風向きが変わるのを待っていたそうです。

これがなんと、日本人初めてのアフリカ大陸上陸でした。

信長の家来「弥助」はモザンビーク人!

wikipedia

ポルトガル人の宣教師に奴隷として日本に連れてこられたモザンビーク人を、織田信長が家来にします。

「黒を塗っているのではないか。洗い流してみろ」と命じたそう。

「弥助」という名前を与えたくらいなので、織田信長も彼をかなり気に入っていたのではないでしょうか。

意外なところに日本とモザンビークの繋がりがあり、ちょっとテンション上がりました。

参考:外務省世界史の窓

モザンビークはまだ独立してからたった43年です。

今後の更なる発展に、ボランティアとして、また日本人として少しでも貢献できるような活動をしていきたいと思います。

歴史だけでなく、政治や経済の話も今度掘り下げて書きたいと思いますのでお楽しみに!

それでは、Tchau, Tchau!

ボランティアランキング

にほんブログ村 海外生活ブログ 青年海外協力隊へ

にほんブログ村

Digiprove sealCopyright secured by Digiprove © 2018

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする